Google+を始めたのが8月中旬だったと思うんですが、
今日で半年くらい、経ちましたかね。
Google+は私にとってはとても有益なものになっています。
ネットならではのコミュニケーションですよね。
で、そのGoogle+ですが、最近個人的に気になることがあります。
それは、SNS疲れ。ソーシャル疲れとも言うらしい。
私の周りでちょっと増えています。
Google+は、mixi,facebookよりは疲れを起こしにくい、という評判があります。
気軽にコメント、投稿できるから強制されている感じがしない。
という意見が私の周りにはそこそこ多いです。※
しかし、それは本当のことなのだろうか。
それは周りが言ってるから、そういう風に自分が勝手に思い込んでるだけではないのか。
他人の意見に流されてはいないか。
見たくない投稿を見て、疲れを感じてしまっていることはないか。
声が大きい人の意見に同調しないといけない流れを感じてはいないか。
声が大きい人を見分ける方法はいくつかあります。
- サークルに追加されている人数が多い方
- 投稿数が極端に多い方
- いろんな投稿にコメントを残す方
- 投稿に対して+1を押されている数が多い方
- 頻繁に+1を押している方
声が大きい方の意見には、図らずも同調圧力がどうしてもかかりやすいのが特徴だと、私は感じます。
目立つ方の存在には自分を保つための注意が必要です。
自分に合わない、と思うならついていかなくてもいいと思っています。
私は実際そうしています。
もう一度、振り返って欲しいです。
Google+も、SNS疲れを起こしている方がいる。これは事実です。
SNS疲れを起こす理由は皆さんそれぞれ違うと思います。
その場合は、一度お休みされてもいいと思います。
離れてみたけど、やっぱりGoogle+って楽しいや~って思えば、また始めればいいだけですからね。
SNSをやることによって、自分の生活環境を悪く変えてしまわないようにしたいですね。
私は最近、周りに起こっているG+のSNS疲れ(ソーシャル疲れ)を目の当たりにして、
とても寂しく思ったので書きました。
こんなの当たり前じゃないか、と思う方もいるかもしれませんが、
他人にとって当たり前のことが自分には見えていないことなんて、みなさん一度は経験していますよね。
もし、「そんなの当たり前だ。」
そう思えた方がいらっしゃったのであれば、SNS疲れはないのかもしれませんね^^
みなさんは、どうお考えでしょうか。
※私はmixiもfacebookも強制されていると感じたことは一度もありません。これは念のため。
すぐ追記:Google+でこの記事に対する反応をいただきました
とても考えさせられる内容でしたので、許可を得て転載しています。
僕がG+で問題だなと思ってる事は、発信疲れってところなのかな、、なんて思ってます。
G+で存在しようと思えば、常にアクティブでないとダメなところが疲れる原因じゃないかな?
なんて思ってます。リアルタイム性が強すぎるのがある意味G+のダメなところかなと。
なるほど、発信疲れが起こっている、というのは私も感じています。
イニシアティブを得たくて露出を継続的に行わなければならない、
かつ、発信する情報の質も求められる(反応をいただくという意味で)と感じました。
同調圧力は一般社会でも当たり前の事なんで、そんな問題だと思ってませぬ。
たしかに・・・一般社会も同等ですね。
私が今まで同調圧力を無視し続けているタイプなんで、特にそう感じたのかな・・・なんて思い返しています。
こういう意見もありました。
投稿が一定期間途絶えると、個別投稿で「最近見ないね~」など、様子を伺われる
私も前にちょっとやったことがある・・・気にされるのもウザイけど、
気にされないのもイヤなんじゃないかな~っておもっていたけど・・・
反応をいただいて、振り返って考えました
発信・返信の義務感、意見や仲間集めによる無意識の同調圧力など・・・これを感じている方は少なくないですね。
とはいえ、やっぱりGoogle+はこうやってリアルタイムで反応をいただける点ではとてもよいものです。
でも、リアルタイム感が強いことへの弊害もあるということ。
常にリアルタイムな投稿やコメントでスピード感があるのは実感できるんですが、
一般の方は常にGoogle+に張り付いているわけでもないですし、それぞれライフスタイルの中での遊びの1つとして
使っている方もいるのではないか、と思っています。
ビジネスとして使っている方にとっては、
それはお金を生み出す手段(Google+で直接的ではないにしても)としては、
能動的にやっているとも取れると思います。
私が今回感じているSNS疲れとは、性質が違うと思います。
うーん・・・こういった解決がないと思われる話題に関しては、今までこのブログでは扱わないように努めてきました。
なぜなら、私がそういった巷にあふれている、いわゆる問題提起型の記事には、
結局「個人がそれぞれ考えること」という括りで締められていることが往々にしてあって、
それって結局どうすればいいの?って思うことがあるからです。
だからといって巷の記事全てに答えや導きを求めてはいませんがね。
自分で考えるきっかけをいただく意味では問題提起型の記事も有意義に働いている、とも取れるでしょうしね。
で、結局私はどう考えてこれを書いたの?
というと、SNS、今回の場合はGoogle+ですが、何か「義務感」を感じていたら危険信号である、と思うことも大切で、
それが自覚はなくても何かモヤモヤとしている部分がGoogle+の投稿やコメントをされてる方から読み取れたりしてて。
もしかしたら、似たような思いを持った方がいるんじゃないかな~って思って書いたんですよね。
そして追記をここまで書いたのも、実はこの記事が私が思った以上に見られているデータが
PV数の増加から把握できたからです。(表面上は無反応に近いですがね^^;)
Google+は表向きには+1数やコメント数が目立つのは当たり前なのですが、
表面上には何も反応がないように見えるけど、実は結構
「その投稿見たよ」「あの人の投稿でコメントしてるの見たよ」
っていうことがあるんですよね・・・。
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